九歳まで当時玉名市になったばかりの高瀬で育ち、福岡市に父の勤務の関係で転居した。 小、中、高、大学まで福岡市で育ちすっかり博多弁で就職し、仕事柄北は札幌、南は鹿児島に短期で単身赴任し、子ども達は、福岡市、千葉県市川市、佐賀県佐賀市で学校に通った。 次女が玉名郡内に嫁ぎ夫婦で家を買った。 僕は育った玉名を故郷と思う気持ちが強く、博多区の家と土地を弟に譲り次女の敷地内に妻と共に69歳で夫婦二人用の渡り廊下でつながった小さな家を建て移住して来て早3年目となる。 ちょうど玉名から出て、60年目に郡内に帰ってきた。 妻と僕は人混みが嫌いで週に1回近くのスーパーマーケットに買い出しし、晴耕雨読の毎日を過ごしている。 スーパーマーケットで聞くお年寄りの玉名弁を懐かしく思い都会の喧噪を思い出したくも無く、人間らしい第2の生活が始まっている。 園芸・菜園の小学3年生は、去年まで病気や虫食いで失敗ばかり。
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